歴史マニアの私にとって、行きたくて行けなかった場所。それが昭南神社。廃墟となっている神社は
MacRichie(マクリッチ)貯水池公園のジャングルの中に位置する。
2006年5月13日の土曜日、
シンガポール自転車日記のmoshihoさん、Aさん(仮名)、そして家人との4人で、それは決行された。
待ち合わせは7時30分AMにLornie Road(ローニー・ロード)の駐車場トイレの前。
出発は7時45分AMだった。
時計と逆周りに歩く。
まずはレンジャーハウスにたどり着き、来た道とは異なる道をmoshihoさん入手情報の目印を探して歩く。
ここだ!岩が数個並んでいる。その2つの岩の向こう側に道がある。

9時AM前にジャングルへの最初の突入がされる。
途中不思議と道をはずれてしまった様、振り向いた私たちにジャングルは無常にもそ知らぬ顔を見せる。焦る4人。よく見ると目印の折った草木が目に入る(チルチルとミチルの様に目印にパンを使わなかった私たちは大人だったと言えよう)。
歩くこと2時間、ようやく振り出しに戻る。11時AM前にジャングル突入口に脱出成功だ。
再度のトライか、中止か悩む中。検討結果、11時5分AMに再度ジャングルへ足を踏み入れる。フト、心の中では翌日のストレイトタイムズの一面を飾る無謀な4人の顔写真を思い浮かべるが、必死にそれを打ち消す。
道は続く、どこまでも。

途中、数箇所で倒木などがあり、迂回路を取りながらもひたすら歩く。
11時25分くらいに着いたのは、とある廃墟。水源とされたこの貯水池の関連施設か?ちょっと不気味な様相を見せる。

ジャングルに入って、30分(遅くとも40分)以内にこの場所にたどり着かない場合には、確実に道を間違ったと思って間違いないであろう。
神社に到着だ!鳥居はなくなっているが、石段ははっきりと残っている。

神社到着は、12時PM前。約50〜55分くらいかかった計算。
手水所(ちょうずどころ)は綺麗に残っているといっても良いのかも?

ひとまず、ここで手を清めた(清められたかははなはだ不安)。
本殿は果たしてこの場所にあったのか?写真を撮ってみた。

シンガポールの案内パネルや本で見ると、このような建物であったらしい。
ゴルフ場の方から対岸を見る。このあたりに神社があった。

60年の歳月とはこのようなものなのだろうか?
探索結果、ちょっとわかりかねたのがこの跡が当時の橋の跡なのかどうか?

パネル(1981年の様子)と本(橋がある当時)の写真を見てみる。
どうも現在残るこの跡は橋の跡ではないように思えるのだが。
神社跡前に船着場のような石があった。そこに橋が架かっていたのではないだろうか?
神社跡を探索した後に、橋の跡を探し歩いたが、降り始めた雨が豪雨となった為に、ひとまず神社跡に引き返し、ジャングルを出ることに。
神社跡出発:12時30分PM
廃墟通過:12時50分
ジャングルへの入り口へ帰還:1時20分PM
レンジャーハウスに戻り、そこからTree Top Walk(ツリートップウォーク)へ迂回し、つり橋を渡り、貯水池を一周した時には時計は3時40分PMを指していた。
*備考:
昭南神社
1942年6月に建設が始められた神社は、1942年12月に完成。敗戦時に日本軍の手によって破壊された。昭南神社として造営される前の照南神社は別のところにあったとされる。神社建設には近くに設置されたSime Road CampのPOWs(戦争捕虜)などが使役に駆り出された。建設材料は遠く日本からも運ばれてもきたという。
註:
これを見て、行ってみようと思われるかもしれないが、覚悟が必要である。
その理由は、
1、ワニ注意の看板があるらしい(私は発見できなかったが)。
2、毒をもつ蛇がいる可能性は充分に考えられる。
3、迷うといつ出てこれるかわからない。方向感覚が麻痺してしまう。
4、やはりあまり気持ちのよい場所ではなかった。霊感などある人はちょっと駄目かもしれない。
5、何よりも体力。私たちは結局8時間ほぼ歩き続けた。
私自身は、しばらくは行くつもりはないので、ご容赦の程。