3月23日03:18に死去したシンガポールの李光耀(リークアンユー)元首相、国葬までシンガポール国をあげて嵐が吹き荒れた様だった。
シンガポールに住む外国人として、感じた事を書き留めておこうと思う。
朝起きて、スマートフォンを見るとリークアンユー元首相が、03:18に亡くなったとのTweetを見た(シンガポールのメディアのツイートで見たのだと記憶している)。
数日前から危険な状態にあり、海外メディアでは死去の誤報も出たくらい。
いつの間にか入院先のジェネラルホスピタルに見舞いのメッセージやお花が飾られるコーナーも出来ていた。
その多くの国民の願いもむなしく、この日がきた・・・・・・。
早速TV、チャンネル・ニュース・アジア(以下CNAと記す)をつけた。
6時前の国歌は特別バージョンで、スロー。元首相の過去の映像と半旗がうつっていた。
死去についてTVでニュースキャスターが話す中、PMO(首相オフィス)のウェブサイトも元首相になっていた。
連日PMOのウェブサイトでは、体調が悪化していると随時情報が出ており、入院先のジェネラルホスピタルにはお見舞いの花やメッセージが。
ニュースでは1週間の喪に入り、国葬が29日日曜日に行うと発表。25日水曜日から28日土曜日まで国会議事堂で一般弔問が行われる事も。
国中が白黒に染まった1週間が始まった。
コンビニに行くも、さすがに朝だったので、新聞は死去は報じられておらず。新聞には前日の状況が書かれてあった。
再度お昼くらいに行くと、英語と中国語の2つ号外が出ていたので、購入。英語版は近くのコンビニでは売切れの為、違うコンビニで入手。
MRT駅の表示も。
号外のポスター。
AXSもATMも元首相。
23日はついにこの日が・・・・・・という感じ。
国民の中では危篤状態から何かいつもと違う感情が生じていたのでは?と思える。
それをじかに目にしたのは、25日水曜日。
10時から一般弔問開始との事でのイスタナ前に先に行った時。
続々と集まって来る人達。
今か今かとイスタナからの出発を待つ。
イスタナから出てきた棺には、涙声の叫び声が響く。
見送った後、混み合う駅への道を抜け、10時からの一般弔問の為、国会議事堂に移動する事にした。
FunanCentre前の歩道橋から国会議事堂前を見た。
棺が国会議事堂へ入っていくのを見送る人々。
国会議事堂前を通ると、半旗がその上に。
国会議事堂へと連なる人々、この時はUOB Plaza前が最後尾。
歩いて行くと、既に最後尾はサーキュラー・ロードまで伸びていた。

暫く待ったが、この日は炎天下の下、列は動き気配がない。
政府も予想しなかった多くの国民。
25日から28日まで、10時から20時までの予定が、25日24時までとなった後に、24時間28日の20時までとなった。
25日は電車が24時間体制(一部のバスも)、26日は深夜まで、27日は24時間となった(一部のバスは3日間同じく24時間体制)。
我々は25日諦めて、26日の夜に行こうとして待ち時間の長さに待ち、27日のお昼にパダンへ行った。
@初日(25日)は途中列の方向を変更したみたいだが、列は永延とリャンコートまで、ホムリムパークまで(詳細は?)伸びた様だ。翌朝7時からはパダンに並ぶようにとなった。
27日の体験記、その模様は下記をご参考に。
LKYが首相時代に演説をしたというゆかりのフラトン(現フラトンホテル)には追悼のメッセージと顔写真。

28日(土曜日)一般弔問の最終日の列をシンガポールリバーから見る。
この日も列は途絶えることなし。

3月29日(日曜日)国葬のNUSまでの沿道は、豪雨にも関わらず国民で埋め尽くされた(発表は10万人)。
我々は先日決めたパダン周辺を目指した。
シティ・ホール駅に10時半くらいに着くと既に人そして人。
色々を場所を探し、10分後くらいにエスプラネード前に場所を確保。
豪雨に見舞われる。
12時半の出発にも関わらず、一度やみかけた雨は再度雨脚を強く、降りやまず。
12時45分予定の21発鳴る礼砲も8発までは数えたが、全ては鳴らなかったのでは?
戦闘機の轟音が雲の上から聞こえた。
雨の中人々の声に迎えられ車が近づいてくる気配。
そして、13時直前に我々も前を、涙声の歓声の中、棺は通過。

パダンを見に行き、どこかのコミュニティセンターに国葬の様子を見に行こうかとシティ・ホール駅まで歩いて行く途中、サンテックシティの大型スクリーンで映像が生中継されているのを知り、そちらで見る事にした。
続々と人が集まってくる。
遺体はちょうどクイーンズタウン周辺をNUSに向かう途中だった。

国葬の追悼演説が4時までに終了せずに、4時に鳴るサイレン(The SCDF Public Warning System sirenが2回鳴り、その間1分間の黙とう)が鳴り響いたのは4時半過ぎ。
大型スクリーン前の人々も、自分を含め黙とうをした。
国葬が終わった時には、嘘の様に晴れ渡った空。
リークワンユー元首相、お疲れ様でした。
3月23日月曜日 03:18 死去 1週間を喪に服す事が発表(国旗の半旗掲揚など)
3月23日月曜日、24日火曜日 遺体はイスタナ内のスリータマセックに移送され、家族等のプライベートの弔問
3月25日水曜日〜28日土曜日20時まで 国会議事堂に移送され、一般弔問
この間、イベント等の中止などがあった。国葬の日曜日はメトロ(デパート)などは休業、各会社も一般弔問に行くスタッフの処遇を外出扱いにしたりとの措置が取られた。
政治家の評価は現役時・引退後・死去時・その後年月を経てからされるものだと実感した。