
一時、ブリジストンのタイヤ工場として使われていた時期もあったが、戦争記念館として生まれ変わった。

アールデコの造りが美しい。


後ろのコンドミニアムが構図としては邪魔だ。
この場所のハイライトは、


1942年2月15日
マレーの虎、山下将軍の「イエスか!ノーか!」
*実際は通訳がまずく、話が通じなかった為に、要点を聞いたなど説があるようだが・・・・・・。
館内では実写フイルムも見ることができる(迫る山下将軍に、落ち着きなく、うろたえるパーシバル将軍)。
館内の机、椅子はレプリカ(当時のもの、机はAustrarian War Museum、7個の椅子はSentosaにある<註:椅子に関してはこちらに移したかどうか未確認>)。
*隣に立っているひげの軍人は杉田参謀(1945年9月2日ミズーリー上での降伏調印にも参加。情報参謀の為、戦後の戦犯にはならず。ちなみにパーシバル中将もミズーリ上に。運命とは皮肉なものである)
庭にあるオブジェ、

じっと目を凝らすと、

さて、建物はいまだ(2006年3月11日現在)工事続行。

シンガポールも東南アジアということか。
敷地内にある説明パネル、

Yamashita’s Communication to PervicalとあるPervicalは、Percivalの間違いに間違いない。パネル、作り直すのか?
何か間が抜けているのも東南アジアであろう。
*備考:
住所 351 Upper Bukit Timah Road 588192
Open 月〜金曜日 9時〜17時30分、土曜日 9時〜13時30分
休み 日曜日、祝日
入場料 1年間は無料、映像室で2種類あるフイルムを見るには各1ドル
電話 65−6332−7973
Web Site:www.s1942.org.sg
南方軍(司令官、寺内寿一大将、元帥、陸士11期)の第25軍司令官としてシンガポールを攻略した山下奉文中将(当時、陸士18期)は、この後満州に移動。梅津美治郎関東軍司令官(陸士15期、のち参謀総長としてミズーリーの降伏調印に重光外相と共にサイン。戦犯裁判中に死去)の下、大将になったのち、フィリピンへ。戦後はフィリピンで絞首刑。フィリピンで山下大将下の武藤章参謀長(陸士25期、日米開戦時には軍務局長)は戦後A級戦犯として絞首刑。シンガポールの降伏調印のサインをした板垣征四郎大将(陸士16期、満州事変を石原莞爾と共に企画実行、開戦時朝鮮軍司令官。息子は元参議院議員)も同時にA級戦犯として絞首刑。
ちなみに、同じくA級戦犯として絞首刑になった東條英機は陸士17期。
山下将軍は、マレーの虎と呼ばれることを嫌っていたという。
パーシバル中将は、1966年に79歳で死去。
フォード工場は、日本占領時代は日産のトラック工場と陸軍車両の修理工場として稼動。戦後2年間、イギリス軍の車両工場として使われた後に1980年までフォード工場。その後、変遷を経て今に至る。近年は廃屋だった。