海軍は真珠湾を攻撃、陸軍はマレイ半島に上陸一路シンガポールへ戦車、銀輪部隊(要するに自転車)を従え侵攻、南下。

改めてこの日に思うのは、政治指導者に求められる根気(交渉に関する)と勇気(暗殺に対する)。何故、この開戦は避けられ得なかったのか?指導者は何を企画しどう動いたかということ。興味は尽きない。
昭和16年12月8日、タイ南部のシンゴラとマレーシア北部のコタバルに上陸を決行。翌年1月31日ジョホールバルに到着。2月8日第5師団と第18師団が西側より、近衛師団が東側より水道を渡河、2月15日に英軍降伏。
写真はセントーサ島Fort Siloso(フォート・シロソ)の再現人形館。
フォードの工場(現在はちょっとした記念館になっている)でパーシバル司令官(中将)に降伏を迫るマレイの虎こと山下将軍(本人は虎と呼ばれることを嫌っていたようだ)。
*備考:
南方軍総司令部陣容
総軍司令官 元帥陸軍大将 寺内寿一(陸士11期)
総参謀長 陸軍中将 塚田攻(19期)
総副参謀長 同上 青木重成(25期)
同上(航空) 同上 坂口芳太郎(26期)
他略
マレイ作戦は第25軍が担当
軍司令官 陸軍中将 山下奉文(18期)
参謀長 同上 鈴木宗作(25期)
参謀副長 陸軍少将 馬奈木敬信(26期)
参謀 陸軍大佐 池谷半二郎(33期)
同上 陸軍中佐 鈴木京(35期)
同上 同上 辻政信(36期)
同上 同上 本郷健(36期)
同上 同上 杉田一次(37期)
同上 陸軍少佐 国武輝人(44期)
同上 同上 朝枝繁春(45期)
他略
近衛師団 師団長 陸軍中将 西村琢磨(22期)
第5師団 師団長 陸軍中将 松井多久郎(22期)
第18師団 師団長 陸軍中将 牟田口廉也(21期)
第56師団 師団長 陸軍中将 渡辺正夫(21期)
他略
陸軍航空の主力をマレイ作戦に投入
第3飛行集団 集団長 陸軍中将 菅原道大(21期)
詳細略
ところでなんか気合の入った記事ですが、研究でもされているんですか?
大学の専攻は歴史で、ギリシャ史をかじっていました。役に立ったことは大英博物館のロゼッタ石のギリシャ語の単語が2文字解ったことだけです(これだけでもよかったと思いました)。全然勉強せずに、卒業時には世話になった先生からは「お前は本当に何もしなかった」と嘆かれたものです。彼もすでにあの世に逝ってしまいました。
昭和史は東南アジアに住み始めて興味を持ち、色々と読んではいます。時々は戦史にある土地を訪ねています。
確か、ベトナムなどは日米開戦の大きな起因ともなった駐軍とその後の食料の調達による現地の人たちの食糧難などがあったのでは?また、南方軍の本部はそこにあったと記憶しております。