3月25日水曜日から28日土曜日までの一般弔問は、今迄にないシンガポール。
27日金曜日正午に行ってみた。
初日の25日は公道を行列が埋める事態となり、2日目の26日7時からはパダンに並ぶ様に急遽体制が整えられた。
CityHallシティホール駅に降りると待ち時間8時間のプラカードを持った係員。
ハンドマイクを持った係員は出口Bへ人々誘導。
出口Bから出て、係員の指示に従い右折する。
四つ角をさらに右折し、パダン入口に着く。
勿論の事、故リークアンユー元首相もゆかりが深い(NDPが始まったのもここ)。
能書きはさておいて、多くのアーミーテントが設置されている。
アーミーテントの下で待機。
風が通ると涼しいが、無風になると芝生から熱気があがってくる。
軍服姿の若者から引率されて、移動。
パダンにある記念碑を見ながら、パダンを出る。
国会議事堂の方へ行く人々を横目に、
あれれぇ〜
左折し、エスプラネードの方へ向かう。
F1や近年ではNDPのThe Float at Marina Bayの観客席の前で蛇行し、その下を抜ける。
ここの蛇行ラインは、当方が行った時間は利用されず。
ここで水を受け取る。
シンガポール自慢のNew Water、汚水を蒸留したもの。
パンをもらう。
やっとエスプラネードを再通過。
橋の下をくぐり、後ろを振り返る。
UOB Plazaを見上げ、まだまだ続く道にため息をつく。
振り返ると、人人、そして人。
道が細くなるここで、ぴたると動かなくなる。
倒れた人がいたのだろうか?
車いすが運ばれていく。
近年大改装し、綺麗になったVictria Theatre(ビクトリア・シアター)が見えてきた。
ここを左に曲がり、右に曲がると橋(Anderson Bridge)の下の道。
オフィサーが来て、あと1時間半ですと言われる。
しばらく橋の手前で待機。
橋の向こうにFullerton Hotelが見える。
前へ前へ。
この時点であと1時間と先と違うオフィサーに言われた。
Cavenagh Bridge(カベナ・ブリッジ)、この辺りを歩くと、それはそのままシンガポールの歴史散歩。
左手にBoat Quay(ボート・キー)が!もう少しだ。
後ろを振り返る。
そして、前を見る。
国会議事堂近くには、テントが設置されてある。
あと60分!
メッセージカードとペンを渡される。
既に書かれたメッセージの一部が飾られている。
X線などのセキュリティチェックを抜けると、そこは国会議事堂だった。
建物の中は撮影禁止。
遺影の向こうに、シンガポール国旗のかかった棺。
3度お辞儀をして、ご冥福をお祈りした。
シンガポールに過ごして、18年目となった自分。
わずかなそこにいる時間はわずかながら、来てよかったと思えた。
シャンムガム外務大臣兼法務大臣が出口付近で国民に挨拶。

3月25日水曜日から28日土曜日まで、10時から20時までの予定が、あまりの多くの国民の参加。
25日24時までにまず変更したが、らちが明かず、28日20時まで24時間体制で対応する事になった。
25日は鉄道と一部のバスの24時間運行。26日は鉄道はメインテナンスを理由に24時過ぎを最後に朝までお休み、一部のバスは運行。
27日は鉄道と一部のバスの24時間運航となった。
詳細は、下記のウェブサイトをご参考に。
これから弔問に行こうと思っている方々に、少しでもご参考になれば幸いです。
水の心配はないですが、お昼は日差しが強いので、傘を借りるか帽子をかぶって、熱射病にならない様に注意して下さい。
トイレはシティ・ホールでまずは行き、エスプラネードで再度行くなど、行ける機会に。
1人で行く方は、トイレ等に行く場合には、数多く立っているオフィサーや係官に相談をして下さい。
歴史に興味がある方は、歴史地区を歩く事になりますので、何かガイドブックなどでも本を持参して行くとよいでしょう。
インターネットで検索して色々と眺めながら歩くのもよし。
結構列がめちゃくちゃになり、強引に抜かれたりもされますが、気長に。あぁ抜かれちゃった程度に思って下さい。色んな人がいます。
立っている時間が長いので、革靴は避けた方が無難です(国会議事堂に入る時に履き替えるのも一つの考えです)。
追記(27日23時59分):27日深夜、キャパオーバーで安全確保の為、一時的にパダンへの入場を中止中。詳細は要確認。
追記(28日8時30分)今朝6:15から入場が再開されたそうだ。